黄檗宗大本山 萬福寺

黄檗宗大本山 萬福寺

黄檗宗大本山 萬福寺

山号

黄檗山

宗派

黄檗宗大本山

本尊

釈迦如来

創建

1661年(寛文元年)

開基

隠元隆琦(いんげんりゅうき)

概略

隠元隆琦(いんげんりゅうき)が1661年(寛文元年)に開創された寺院であり、日本三禅宗(臨済・曹洞・黄檗)の一つで、日本の近世前の仏教各派の中では最も遅れて開宗した黄檗宗の大本山です。黄檗宗では、儀式作法は明代に制定された仏教儀式で行われ、建物や仏像、寺内で使われる言葉、儀式作法、精進料理に至るまで中国風で、日本の一般的な仏教寺院とは異なった景観を有しています。建造物は、中国明朝様式を取り入れた伽藍配置で、創建当初の姿のままを今日に伝える寺院は、日本では例がなく、代表的な禅宗伽藍建築群として主用建物二十三棟、廻廊、額、聯などが国の重要文化財に指定されています。

本寺の精進料理は普茶料理(ふちゃりょうり)と呼ばれる中国風のもの、また当寺は煎茶道の祖・売茶翁(ばいさおう)ゆかりの寺として知らています。隠元隆琦(いんげんりゅうき)、木庵性瑫(もくあんしょうとう)、即非如一(そくひにょいつ)はいずれも書道の達人でこの3名を『黄檗の三筆』と称します。開基隠元によりさまざまの中国文化が日本にもたれされ、インゲン豆、タケノコ、スイカ、レンコン、原稿用紙、机、イスなどをもたらしたとも言われています。

山号寺号ともに、かって隠元が住職を務めていた中国福建省福清県の黄檗山萬福寺にちなんだものです。開基・隠元は中国明時代の1592年(万暦20年)福建省福州府に生まれました。29歳で仏門に入り、46歳のとき黄檗山萬福寺の住職となります。隠元は当時中国においても高名な僧でその名声は日本にも届きました。

歴史

隠元が招かれて来日する1654年(承応3年)の時は63歳でした。当時の日本鎖国政策を取り、海外との行き来は非常に限られていましたが、長崎の港のみ開かれ、明人が居住し崇福寺や興福寺のような唐寺が建てられていました。隠元は興福寺(長崎)の僧・逸然性融(いつねんしょうゆう)らの招きに応じて来日したものであります。はじめ逸然が招いた僧は隠元の弟子の僧であったが船の遭難事故で帰らぬ人となってしまいました。そこで逸然は隠元を招くことにしたが、高齢を理由に隠元は来日を辞退していましたが、日本からたびたびの招請があり、渡日することを決意しました。

1654年(承応3年)、30名の弟子とともに来日した隠元は、はじめ興福寺(長崎)、次いで普門寺(摂津富田)に住しました。隠元は中国に残した弟子たちに『3年後には帰国する』と約束をしており、来日3年目になると帰国を要請する手紙が多数届き、隠元も帰国を希望したが、元妙心寺住持の龍渓性潜(りゅうけいしょうせん)をはじめ日本の信奉者たちは日本に留まることを強く希望し、幕府に働きかけ、1658年(万治元年)、隠元は江戸へおもむき、将軍徳川家綱に排謁(はいえつ)してます。家綱も隠元に帰依(きえ)し、1660年(万治3年)には幕府によって山城国宇治に土地が与えられ、隠元のために新しい寺が建てられることになりました。隠元も日本に留まることを決意し、結局日本に骨を埋めることになりました。

1661年(寛文元年)に開創着工され、造営工事は将軍や諸大名の援助を受け、九万坪を擁(よう)した境内には相次いで伽藍(がらん)が造営され、1979年(延宝7年)頃にほぼ完成しました。その大半は南方産の西域木(チーク材)を用いた中国様式の建造物であります。経費・資材の大半は1667年(寛文7年)に将軍徳川家綱が寄進した白金2万両とチーク材、それに大阪の貿易商長崎屋四郎右衛門寄進のチーク材、酒井忠勝寄進の近一千両などによっています。チーク材はすべて大阪から宇治川に回航され、岡屋村(現宇治)西端の御殿の浜で陸揚げされました。隠元もその地に上陸したと伝えられ、1949年(昭和24年)まで付近にあった渡船場を『隠元渡し』と称されました。

その後、境内には、次々と搭頭(たっちゅう)が造立去れ宝永年間には三十三院を数えるに至りました。開山隠元以後も萬福寺住職は、2世木庵性瑫(もくあんしょうとう)から15世大鵬正鯤(たいほうしょうこん)に至まで、すべて中国からの渡来僧であり、その後2名の中国僧が住職になっています。しかし1784年(天明4年)に21世大成照漢(だいじょうしょうかん)の没後は中国僧の渡来も途絶えました。

伽藍

伽藍配置

伽藍は西を正面とし、左右対称に整然と配置されています。総門をくぐると右手に放生池、その先に山門・天王殿・大雄宝殿(本堂)・法堂が西面にして一直線に連なり、法堂の左右に東方丈、西方丈が並びます。これらの諸堂は廻廊で結ばれ、廻廊に沿って右側には鐘楼・伽藍堂・斎堂があり、左側には対照的な位置に鼓楼・祖師堂・禅堂が建っています。これらの建物は中国明時代の様式でつくられ、『卍字くずし』のデザインによる勾欄(こうらん)、『黄檗天井』と呼ばれるアーチ形の天井、円形の窓、扉に彫られた『桃符』と呼ばれる桃の実形の飾りなど、日本の他の寺院ではあまり見かけないデザインや技法が多用されています。

総門(重要文化財)

1693年(元禄6年)の建立しました。瓦屋根の中央部分を高く、左右を低く段差を設け、中国流に言えば『三間四柱三棟』に近い。中央の高い屋根を『正楼または明楼』左右の低い屋根を『次楼』といいます。屋根に載る一見鯱(しゃち)のようなものは鯱ではなく、インド辺に原形をもつマカラという想像上の動物で、鯱のエラの代わりに脚が生えているもの。『第一義』の掲額(けいがく)が目立ちます。

法生池

三門(重要文化財)

1678年(延宝6年)の建立しました。三間三戸二重門(二階)で、階上に上がるための階段を覆う山廊が付いています。柱下の太鼓形の礎石、大棟中央の宝珠、数多く掲げられた額と聯(れん)など可能なかぎり中国風を取り入れています。軒まわりは下層二手先・上層三手先の組物としています。

天王殿(重要文化財)

1668年(寛文8年)の建立しました。五間三間一重入母屋造り。本堂の手前にこのような堂を置くのは中国式の伽藍配置であり、日本では珍しい。正面一間通りを吹放として、そのまえにX型の組子をいれた高欄を設けるなど中国風に扱っています。正面吹放し部分から左右に廻廊が長く続いています。廻廊は諸堂楼につながり、雨に打たれることなく回ることが出来ます。このように廻廊が完備して諸堂を連絡している寺院は現在の日本では非常に特殊であります。天王殿は正面三間が扉、内部は土間で、柱脚の礎盤は太鼓形、天井は鏡天井、柱間には板莫股を入れています。中央に明朝の苑道生作という弥勒菩薩の化身とされる布袋像を安置、その背中合わせに韋駄天尊者、四隅に向かい合って四天王の像を祀っています。

石條

萬福寺の参道に並んだ菱形の石は龍の背のうろこを表しています。

弥勒菩薩(布袋)坐像

范道生作、寛文3年(1663)造立、木造、像高110.3cm。布袋は弥勒菩薩の化身といわれ、本山では弥勒仏とされています。

韋駄天尊者

6月2日は韋駄天尊の生誕日とされています。萬福寺ではお寺の守護神として、本尊へ向けて祀られています。

四天王の像

四天王の多聞天
四天王の広目天
四天王の持国天
四天王の増長天

大雄宝殿(重要文化財)

1668年(寛文8年)の建立しました。日本の一般的な寺院の『本堂』『仏殿』にあたる建物です。この大雄宝殿は萬福寺の本堂であり、最大の伽藍です。殿前に砂を敷いた広い壇は『月台』と呼ばれ日本ではごく珍しいです。桁行三間・染間三間・一重(二階建に見えるが構造上は一重である)・裳階付。入母屋造・本瓦葺の建物です。大雄宝殿は正側面とも22mの大建築で、正面一間通りは吹放しとし、これに廻廊がつながっています。主要木材はチーク材で、大棟の中央にあげた火焔付二重の宝珠、『大雄宝殿』の額、裳階両端の円窓など、一般の仏殿とは異なった印象を受けます。天井も特別に変わっていて俗に『黄檗天井』ともいいます。これは割竹の内側のように筒形の天井とし、円弧形の垂木を蛇腹のように並べた意匠としています。内部は基壇外と同様四半敷(敷瓦などを45度方向に敷く)の土間で、中央一間の石造の須弥壇が築かれ、本尊釈迦如来坐像、左右に脇侍阿難蛇尾裳陀・迦葉の尊像を脇の裳階には十八羅漢像を安置しています。

月台

月台の中心にある長方形の石は、お寺のルールを破った者は罰としてここにお線香を立て、石の上にひざまずいて懺悔するそうです。

円窓

日と月を象徴としています。他の諸堂にも同じ大きさの円窓が設けれいます。

釈迦如来坐像(中尊)

京大仏師兵部作、1669年(寛文9年)造立、木造、像高250cmです。萬福寺は、本尊を摩訶迦葉(まかかしょう)と阿難陀(あなんだ)の両尊者が脇侍として安置されています。

十八羅漢像

法堂(重要文化財)

1662年(寛文2年)の建立しました。大雄宝殿の奥、一段高い乱石積の上に建っています。五間六間・一重・に入母屋造・現在は桟瓦葺で、奥行六間通りは吹放しとして左右の廻廊と続き、天井は筒形の黄檗天井であります。正面石積の上に背の高い卍くずしの勾蘭(高蘭)があり、吹放しの内側は五間とも縦桟の細かい障子や桟唐戸を吊込んでいます。内部は吹放し部とともにすべて四半敷の土間で、正面に須弥壇を置き、天井は平面的な鏡天井であります。

隠元隆琦のお言葉です。

隠元隆琦の『富士山登頂』をあきらめさすために作られた『富士山』をイメージした庭園です。

東方丈・西方丈(重要文化財)

法堂の左右に対して、右側に東方丈、左側に西方丈が並んでいます。西方丈は1661年(寛文元年)、1663年(寛文3年)の建立しました。両方丈ともに一重・入母屋造・桟瓦葺であります。両方丈とも中央で前後に、左右は東方丈が三室、西方丈は四室に仕切られ、それぞれ六室・八室から成っています。方丈は住待の生活、仏事の勤修といったことが中心となる場所であり、日本風のものとして造られています。当初柿葺であったが、今は桟瓦を置いています。東方丈の南側に細長い池を中心に禅院方丈には珍しい池泉回遊式の庭園があり、1663年(寛文3年)の作庭であります。

鐘楼・鼓楼(重要文化財)

この両楼は内部は殆ど同じで、構造的には桁行一間・染間一間・一重・裳階付であるが、一間一間の身舎の柱は上まで高く延びて裳階の屋根くらいの高さに床が張られ、裳階の屋根上には縁が回り高欄がついているので外観上からは全く二階の姿に見えます。鐘楼の階上には梵鐘が吊るされ、鼓楼の階上には太鼓を置いています。

伽藍堂(重要文化財)

関聖大帝菩薩(関羽)を安置しています。

斎堂(重要文化財)

一山僧侶の食事をする処で、緊那羅王像を安置しています。吹放し部に巨大な木製の開梆(魚板)と雲板が掛けてあり、魚板は時報、雲板は食事の合図に用いられるものであります。

開梛(魚梆・魚鼓)

萬福寺も斎堂(食堂)前の回廊につるされている開梛(魚梆・魚鼓)は、時を報ずるための魚板です。現在は3代目です。

祖師堂(重要文化財)

中国禅宗の祖である達磨の像と歴代住職の位牌を安置しています。桁行三間・染間三間・一重で正面は吹放しとなっています。

禅堂(重要文化財)

五間・六間・一重の建築で、座禅が出来るように内部両側に畳敷の低い壇があり、座禅堂であります。

威徳殿(重要文化財)

徳川歴代の将軍を祀っています。

祠堂(慈光堂)(重要文化財)

桁行三間、梁間二間、入母屋造、本瓦葺で、西方丈の西に東西棟として建っています。一般信徒の位牌を納め、永代供養するためのお堂で、隠元禅師300年遠諱遠諱(おんき)(1972年)のときに納骨堂が併設され、宗旨を問わず納骨もできるようになりました。

黄龍閣(大庫裏)(重要文化財)

松隠堂(重要文化財)

元は松隠堂として萬福寺と独立した宗教法人であったが、1959年(昭和34年)に宗教法人萬福寺と合併しました。三門をくぐった参道の左側の一郭です。開山堂、舎利殿、客殿、寿蔵(寿搭)などの建物が建っています。隠元が二世の木庵に住職を譲った後の隠居所として居住したところであります。1663年(寛文3年)、隠元に帰依するある夫人から屋敷を寄付され、萬福寺に移築して松隠堂と称したことに始まりました。隠元の死後は開山搭院(墓所)となっています。隠元の隠居所として、当初は小さな庵にすぎなかった1964年(元禄7年)、禅師の後継者達が規模を大きくして再建したこと言われています。

寿搭(重要文化財)

寿蔵ともいい、通玄門、舎利殿とともに1663年(寛文3年)に出来ましたが、寿蔵は禅師の生前にその御霊屋として造れたものであります。生存中に造られるとき『寿』の字をつけ、寿蔵、寿搭などといいます。この霊域は石段をあがった上、ほぼ半円形をなくし中央の奥に霊堂があります。これは六角平面の六角円堂で、小規模ながら総円柱・組物出組・扇垂木の禅宗様建築で柱間は円窓、正面に『真空搭』の額を掲げ、前の碑には『開山隠元老和尚之搭』と彫り、屋根の鬼瓦には中国の仙人がいりいろと現されています。

開山堂(重要文化財)

1663年(寛文3年)の建立しました。桁行三間・染間一間・一重・裳階付・入母屋造で背面に向唐破風の後室が付き、凸字形の平面であります。床は後室えお除き全部四半敷、正面三間一間は吹放しその上は黄檗天井、大棟中央の宝珠、正面の卍紋を入れた高欄、正面中の間の半扉など中国風であります。屋根は二重だが、構造造には一重、柱は全部方柱であります。

海の波をイメージした石畳です。

桃は古来より、不老長寿の果実で邪気をはらうとされていているので、そなえられています。

龍のお腹を表現した『黄檗天井』です。

龍のうろこを表現した床です。

卍(まんじ)くずしの勾欄があらゆるところで見られます。

合山鐘

開山堂の正面回廊の途中に吊るさている雲文梵鐘です。

廊下の灯り

『煎茶道』は萬福寺の境内に売茶翁を祀った『売茶堂』や煎茶道修行の道場『有聲軒』などがあり、毎年5月頃には『全国煎茶道大会』が行われています。

『萬』は萬福寺の『萬』です。

『葵の家紋』は、徳川家綱などのおかげで寺地を得たという事で『葵の家紋』です。

中和園

写真中央にあるのが庭園の名称となった『中和井(ちゅうわせい)』です。

舎利殿(重要文化財)

開山堂の後方、多くの石段を上ったところにあります。方三間・一重・宝形造りで棟まわりの禅宗様の建物です。

通玄門(重要文化財)

開山堂に正面にあり、四脚門・屋根切妻造・本瓦葺の建物です。

窟門

窟門は黄檗の伽藍を特色づける門の一つであります。三門の両側に『白雲関(はくうんかん)』と『通霄路(つうしょうろ)』があり。漆喰の白が緑や古色に対して際立って美しいです。あおく繁る木は黄檗樹であります。古黄檗の山名は黄檗が多いところに名付けられたといいます。

文華殿(宝物館)

三門をくぐって右手にあります。宗祖三百回忌を機に1972年(昭和47年)に建てられた黄檗文化の殿堂として、宝物・資料の収蔵保管と展示する建物です。毎年春秋に展示会が行われています。

賽銭箱

御朱印

重要文化財(建造物)

萬福寺 16棟

総門、三門、天王殿、大雄宝殿、法堂、鐘楼、鼓楼、伽藍堂、祖師堂、斎堂、禅堂、東方丈、西方丈、祠堂、大庫裏、威徳殿

(附:廊8棟、鎮守社、廊棟札、伽藍絵図5点、作事関係文書7冊)

萬福寺松隠堂 7棟

通玄門、開山堂、舎利殿、寿蔵、客殿、庫裏、侍真寮

(附:裏門、宝蔵、鐘楼、廊2棟、石碑亭)

重要文化財(美術工芸品)

紙本淡彩西湖図4幅、西湖図4幅、虎渓三笑図8幅、五百羅漢図8幅、波涛図 1幅、池大雅筆

紙本著色隠元和尚像、元規筆 隠元自題あり

絖本淡彩観音図1帖(18図)、 陳賢筆 、崇禎9年の款記、隠元の題字及び賛があり

黄檗山木額・柱聯・榜牌(額 40面、聯 44対聯 44対、榜牌 13面、下書14面)

寺宝

仏像・絵画・書など多数の寺宝がありますが、詳細は省略します。

萬福寺の近辺イラストマップ

Googleマップ

〒611-0011 京都府宇治市五ケ庄三番割34
〒611-0011京都府宇治市五ケ庄三番割34

住所

〒611-0011 京都府宇治市五ケ圧三番割34

TEL/FAX

TEL:0774-32-3900/FAX:0774-32-6088

電車を利用の方

  • JR奈良線『黄檗駅』下車 徒歩5分
  • 京阪宇治線『黄檗駅』下車 徒歩5分

車を利用の方

  • 滋賀方面からの場合、京滋バイパス『宇治東IC』から5分
  • 大阪方面からの場合、京滋バイパス『宇治西IC』から10分

駐車場料金 

種別最初の90分超過30分毎に
普通車600円200円
バス2500円(2時間)

拝観時間

9:00~17:00(受付は16:30まで)

拝観料

種別個人団体(30名以上)
大人500円450円
大学生・高校生500円300円
中学生300円250円
小学生300円200円

ホームページ

黄檗宗大本山萬福寺 ‐京都府宇治市
黄檗宗大本山「萬福寺」の公式サイトです。京都府宇治市にある日本三禅宗の一つ黄檗宗の大本山の寺院「萬福寺」。日本では他に例が無い中国明朝様式を取り入れた禅宗伽藍建築と数々の文化財。萬福寺で体験できる禅体験や普茶料理についてもご案内しております。

これらの記事は、2023京都SKYシニア大学『京都見聞コース』の資料を参考に記事を掲載しています。

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