- 舞台船
- 舞台船とは
- 祇園祭
- 山鉾
- 長刀鉾(なぎなたほこ)
- 函谷鉾(かんこほこ)
- 鶏鉾(にわとりほこ)
- 月鉾(つきほこ)
- 菊水鉾(きくすいほこ)
- 放下鉾(ほうかほこ)
- 船鉾(ふねほこ)
- 綾傘鉾(あやがさほこ)
- 四条傘鉾(しじょうかさほこ)
- 岩戸山 (いわとやま)
- 蟷螂山(とうろうやま)
- 保昌山(ほうしょうやま)
- 孟宗山(もうそうやま)
- 占出山(うらでやま)
- 山伏山(やまぶしやま)
- 白楽天山(はくらくてんやま)
- 霰天神山(あられてんじんやま)
- 郭巨山(かっきょやま)
- 伯牙山(はくがやま)
- 芦刈山(あしかりやま)
- 木賊山(とくさやま)
- 油天神山(あぶらてんじんやま)
- 太子山(たいしやま)
- 大船鉾(おおふねほこ)
- 北観音山(きたかんのんやま)
- 南観音山(みなみかんのんやま)
- 鈴鹿山(すずかやま)
- 浄妙山(じょうみょうやま)
- 橋弁慶山(はしべんけいやま)
- 役行者山(えんのぎょうじゃやま)
- 黒主山(くろぬしやま)
- 鯉山(こいやま)
- 八幡山(はちまんやま)
- 鷹山(たかやま)
- 宵山
- 鷹山保存会
- 嵐山~祇園祭
舞台船
昨年に引き続き、舞台船で祇園祭(鷹山保存会)のお囃子を6月25・25日、7月2日の3日間行われました。残念ながら7月3日は悪天候のため中心なりました。今回は大堰川上流にある星野や京都の前で演奏する企画でした。この舞台船、嵐山通船では三船祭(5月第2日曜日)、もみじ祭(11月第2日曜日)など度々登場します。
舞台船とは
舞台船は、船を2艘並べて板(舞台用)を打ち付けて完成します。
舞台船は色々な場面で登場します。
お問い合わせは:『嵐山通船株式会社 TEL:075-861-0302』
祇園祭
【2022年祇園祭の日程】
7月1日 | 吉符入り(各山鉾町、5日まで)/長刀鉾町お千度(八坂神社) |
7月2日 | 山鉾巡行のくじ取り式(京都市会議場) |
7月3日 | 船鉾神面改め(船鉾町) |
7月5日 | 長刀鉾稚児舞披露(長刀町) |
7月7日 | 綾傘鉾稚児社参(八坂神社) |
7月10~14日 | 前祭山鉾建て |
7月10日 | 神輿洗い(八坂神社) |
7月12・13日 | 前祭山鉾曳初め、舁初め |
7月13日 | 長刀鉾稚児社参(八坂神社) |
7月14~16日 | 前祭宵山期間 |
7月15日 | 日和神楽 |
7月17日 | 前祭山鉾巡行/神幸祭 |
7月18~21日 | 後祭山鉾建て |
7月20・21日 | 後祭山鉾曳初め、舁初め |
7月21~23日 | 後祭宵山期間 |
7月23日 | 日和神楽 |
7月24日 | 後祭山鉾巡行/還幸祭 |
7月28日 | 神輿洗い(八坂神社) |
7月31日 | 疫神社夏越祭(八坂神社) |
祇園祭は八坂神社の祭礼で、その祭事は、7月1日の「吉符入」から7月31日の「疫神社夏越祭」まで、およそ1か月間行われます。なかでも、祭のハイライトは7月17日(前祭)と7月24日(後祭)に行われる八坂神社の神輿渡御と34基の山鉾巡行です。「京都祇園祭の山鉾行事」はユネスコ無形文化遺産にも登録されています。
山鉾
各山鉾町では宵山や巡行以外にも、山や鉾を見るチャンスがあります。釘を一本も使わず、縄がらみの伝統技法で組み立てる「山建て」「鉾建て」が行われると、京都の町なかのいたるところに山や鉾が姿をご覧になれます。「山建て」「鉾建て」の後には、試し曳きをする「曳き初め」が行われます。
長刀鉾(なぎなたほこ)
鉾先に大長刀をつけている長刀鉾。現在では生稚児が乗る唯一の鉾として知られ、古来より「くじ取らず」の鉾として、巡行では必ず先頭を歩く大役を担います。
函谷鉾(かんこほこ)
くじ取らずの鉾として、長刀鉾に次ぎ2番目に巡行します。鉾の名は古来中国、斉の孟嘗君(もうしょうくん)が函谷関(かんこくかん)で家来に鶏の鳴き真似をさせ、難を逃れた史話から「函谷鉾」と付けられました。
鶏鉾(にわとりほこ)
鶏鉾は、中国・尭(ぎょう)の時代は天下がよく治まり訴訟を求める際に叩く太鼓が用無しとなり、その太鼓に鶏が巣をつくったという史話『諫鼓(かんこ)』に由来しています。
月鉾(つきほこ)
鉾頭に新月型(みかづき)をつけていることから「月鉾」と呼ばれ、山鉾の中で最も背が高く、さらに重量も12トンを超える最も重い鉾です。
菊水鉾(きくすいほこ)
菊水鉾は、町内金剛能楽堂にある「菊水井(きくすいい)」という井戸に由来しています。鉾頭には、金色の透かし彫の菊花をつけています。
放下鉾(ほうかほこ)
街角で芸をしながら説法をといた放下僧(ほうかそう)の像をまつることから、「放下鉾」と付けられました。
船鉾(ふねほこ)
神功(じんぐう)皇后の説話に由来する鉾で、別名「出陣の船鉾」と呼ばれています。
綾傘鉾(あやがさほこ)
綾傘鉾は、山鉾の非常に古い形態を残している傘鉾の一つで、大きな傘と棒振り囃子の行列として巡行しています。
四条傘鉾(しじょうかさほこ)
応仁の乱以前の古い山鉾の形態を持つ四条傘鉾は、明治4(1871)年以降長く途絶えていましたが、昭和60(1985)年に114年の時を経て再興されました。
岩戸山 (いわとやま)
天岩戸(あまのいわと)を開いて、天照大神の出現される日本神話『天の岩戸』にちなんだ山です。山ではありますが、室町時代ですでに鉾と同じ車輪のついた曳山です。
蟷螂山(とうろうやま)
「蟷螂(とうろう)」とは「かまきり」のことで、別名「かまきり山」と呼ばれている。
保昌山(ほうしょうやま)
丹後守平井保昌と和泉式部の恋物語に取材し、保昌が式部のために紫宸殿(ししんでん)の紅梅を手折ってくる姿をあらわしている。
孟宗山(もうそうやま)
孟宗山は、呉の国の孟宗が病気の母が欲しがる筍を雪の中から奇跡的に掘りあてたという中国の故事から、別名「筍山」とも呼ばれています。
占出山(うらでやま)
神功(じんぐう)皇后が海外出兵の際に、「肥後国松浦川で鮎を釣って戦勝の吉凶を占った」という故事に由来する「占出山」。別名「鮎釣山」ともいわれています。
山伏山(やまぶしやま)
この名は山に飾る御神体(人形)が山伏の姿をしているのでこう呼ばれます。
白楽天山(はくらくてんやま)
唐の詩人・白楽天と道林禅師(どうりんぜんし)が問答している場面を現している白楽天山です。
霰天神山(あられてんじんやま)
霰と一緒に一寸二分(約3.6cm)の天神像が降ってきて、その像をおまつりしたことが「霰天神山」のはじまりとされています。
郭巨山(かっきょやま)
中国の史話二十四孝の一人郭巨釜掘りの故事にちなんで造られ「釜掘り山」ともいわれる。
伯牙山(はくがやま)
中国・周時代の琴の名手・伯牙が理解者であった友人の死を嘆き、琴の弦を絶ったという故事『知音(ちいん)』にちなんだ山です。
芦刈山(あしかりやま)
故があって、妻と離れて難波の浦で芦を刈る老翁が、やがて妻との再会を果たす謡曲『芦刈』にちなんだ山です。
木賊山(とくさやま)
世阿弥の謡曲「木賊(とくさ)」に由来し、信濃の国で子どもをさらわれた翁が、独りで木賊を刈る様子を表しています。
油天神山(あぶらてんじんやま)
油小路綾小路通りにあることから、「油天神山」と付けられました。金色の社殿には、天明の大火後に町内の復興に尽力した風早家伝来の天神像がまつられ、その日が丑の日だったため、別名「牛天神山」と呼ばれています。
太子山(たいしやま)
聖徳太子が四天王寺を建てる際に、自ら良材を求めて山中に入り、大杉の霊木を教えられ、京都に六角堂を建てた伝説に由来します。
大船鉾(おおふねほこ)
大船鉾は応仁の乱以前からの歴史を持つ鉾で、船鉾と同じ神功皇后を御神体に祀り、船鉾が「出陣の船鉾」と呼ばれることに対し、大船鉾は「凱旋の船鉾」と呼ばれていました。
北観音山(きたかんのんやま)
「上り観音山」ともいわれている。文和2(1353)年、創建であることが町有古文書に記されいます。
南観音山(みなみかんのんやま)
善財童子(ぜんざいどうじ)が文殊菩薩の教えにより、観音菩薩を訪ねた場面にちなみ、北観音山の「上がり観音」に対し、「下り観音山」と呼ばれる。くじ取らずの曳山です。
鈴鹿山(すずかやま)
伊勢国鈴鹿山で道行く人々を苦しめた悪鬼を退治した鈴鹿権現(すずかごんげん)・瀬織津姫尊(せおりつひめのみこと)がまつられた山です。
浄妙山(じょうみょうやま)
『平家物語』の宇治川の合戦にて、一来(いちらい)法師が三井寺の僧兵・浄妙(じょうみょう)の頭上を飛び越して先陣をとった場面が表現された山です。
橋弁慶山(はしべんけいやま)
謡曲『橋弁慶』をもとに、牛若丸と弁慶が五条大橋の上での決戦の様子を表している「橋弁慶山」です。舁山(かくやま)では唯一くじ取らずの山で、巡行時のくじ改めの時、奉行の前で山をまわさず特別扱いになっています。
役行者山(えんのぎょうじゃやま)
日本に古くからある修験道を主題にした山です。また、山担ぎ手の法被は、平成13年度に復元新調されています。
黒主山(くろぬしやま)
謡曲『志賀』にもとづき、大友黒主が志賀の桜を仰ぎ見る様子を表した山です。また平成12年には、後懸の飛龍文様綿入刺繍が新調されました。
鯉山(こいやま)
龍門という激流の滝を登りきった鯉は、龍になれるという中国の「登龍門」の故事にちなんだ山で、立身出世のご利益があるとされています。
八幡山(はちまんやま)
町内に祀られている八幡宮を山の上に勧請したもので、常には町会所の庭にお宮を祀っています。
鷹山(たかやま)
鷹山は応仁の乱以前より「鷹つかい山」として巡行していた記録のある山鉾のひとつで「くじ取らず」の大きな曳山でした。そして2022年。約196年ぶりに、復元された鷹山の巡行復帰が予定されています。
宵山
宵山とは本来は山鉾巡行の前日のことですが、前祭の宵山は14~16日の間、後祭の宵山は21日~23日の期間が宵山とされています。夕刻から、各山鉾町では山や鉾を豪華に飾り付け、駒形提灯に明かりが灯りともされます、通りには屋台が並び、祇園囃子が流され、「祇園祭」のムードを味わえます。
鷹山保存会
鷹山は応仁の乱以前から巡行していた由緒のある山鉾で、「くじとらず」の大きな曳山でした。ところが1826年(文政9年)の巡行で大雨にあって懸装品を汚損したことを理由に、翌年から加列しなくなりました。近年、復興の気運が高まり、2014年に鷹山囃子方、2015年5月に一般財団法人鷹山保存会を設立され、2016 年1月に公益財団法人の認定をされました。今年、196年ぶりに蘇る「鷹山」が復活し祇園祭本来の目的である「平和」「疫病退散」を願い、伝統を後世へ継承していく予定です。
嵐山~祇園祭
嵐山~祇園祭のアクセスです。
【料金】
JR(200円)+地下鉄(220円)=420円
嵐電(京福電車)=220円
阪急電車=230円
嵐山から祇園祭へは、3通りの行き方があります。
嵐電(京福電車)か阪急電車で行くのをおススメします。