醍醐寺 三宝院

醍醐寺 三宝院

醍醐寺 三宝院

山号

醍醐山、深雪山(上醍醐寺)

宗派

真言宗醍醐派

寺格

総本山

本尊

薬師如来

創建

874年(貞観16年)

開基

聖宝(理源大師)

歴史

創建は874年(貞観16年)、空海の孫弟子にあたる理源大師が笠取山山頂に草庵を結び、准胝観音ならびに如意輪観音を彫刻し、堂宇に安置して開山、聖宝は同山頂付近を醍醐山と名付けました。醍醐寺は山深い醍醐山頂上一帯を中心に、多くの修験者の霊場として発展した後、醍醐天皇が醍醐寺を自らの祈願寺とすると共に手厚い庇護を掛け、醍醐、朱雀、村上の三帝の深い帰依により、その圧倒的な財力によって醍醐山麓の広大な平地に堂塔が建立され、951年(天歴5年)には五重塔が完成し、大伽藍下醍醐が発展することになりました。以後も皇室をはじめ貴族や武士の支援を得て、三宝院をはじめとする諸院や種々のお堂が建立され、真言蜜教の中心的寺院として多くの信仰を集めました。その後、長い歴史の中で何度も火災にあい、応仁の乱などの相次ぐ戦争で下醍醐は荒廃し、五重塔しか残らなかった。長らく復興にいたらずいたが、1598年(慶長3年)豊臣秀吉による醍醐の花見をきっかけに紀州から寺院建築の移築や三宝院の建築など再建されました。江戸時代に入ると醍醐寺歴代座主が居住する三宝院が幕府により当山派集験の本山であると明確に位置づけられています。このことにより山への信仰が高まり再び活気を取り戻していきました。神仏分離令や修験道廃止令など数々の法難で大打撃を受けましたが、歴代座主の尽力により醍醐の教えは続けられ現在に至っています。一千百有余年の歴史を持つ醍醐寺は日本仏教史上枢要な位置を占めて長年護り続けられてきた寺宝類の多くは国宝、重要文化財の指定を受け1994年(平成6年)にはユネスコの世界文化遺産に登録しました。

伽藍

醍醐寺が管理する建物は、平安朝から江戸時代までを数えると90に棟数におよび、国宝六棟や重要文化五棟が含まれています。一山が賑わった鎌倉時代から室町時代までにおよぶ伝承は、山上に27院、山下に60余院が存在したようです。現存建造物内には、絵画類国宝22点、重文46点、彫刻国宝3点、重文19点、経巻・文書類国宝5点、重文6261点、工芸品重文12点、他未指定絵画や醍醐古文多数が現存しています。醍醐寺の伽藍は下醍醐と上醍醐で隔てられ徒歩では1時間を要します。

下醍醐

本尊の薬師如来像を安置する金堂、三宝院などを中心にに絢爛な大伽藍が広がっています。

金堂『釈迦堂』(国宝)

入母屋造本瓦葺き。正面7間、側面5間。平安時代後期の建立しました。豊臣秀吉の発願により紀伊から移築したもので、1598年(慶長3年)から移築を開始し、秀吉没後の1600年(慶長5年)、秀頼の代になって落慶しました。内部には本尊・薬師如来を安置しています。堂内は内陣と外陣の境に結界や間仕切りがなく、一体の空間とする点に特色があります。醍醐寺醍醐寺金堂の創建は926年(延長4年)で、当初は『釈迦堂』と呼ばれていました。釈迦堂をなぜ金堂と称するのかといえば『仏を金人と称す。即すなわち金人の居住なるがゆえに金堂と称す。』と醍醐寺新要録は明示しています。この建物は、1295年(永仁3年)と1469年(文明2年)に2度焼失しています。豊臣秀吉の外護により再興の日を迎えることになり、1598年(慶長3年)3月15日、豊臣秀吉が醍醐寺山内で生涯の最後を飾ることとなった豪華な宴、醍醐大観桜のあと、かねて企画されていた事業の金剛輪寺(のちの三宝院)や金堂の復興再建にかかりましたが、金堂は新築ではなく紀州湯浅の満願寺の堂宇を解体し移築されることになりました。1598年(慶長3年)4月6日湯浅の堂は解体を終わり、5月12日醍醐寺へ搬入し、18日仮立柱が執行されましたが、豊臣秀吉が8月18日の薨去で醍醐寺復興の大事業は頓挫のやむなきに至りました。1600年(慶長5年)に豊臣秀頼より上棟され、この金堂が現存で平安時代後期の建造物として国宝、また本尊の薬師三尊像は鎌倉時代の作品で重要文化財に指定されています。

五重塔(国宝)

総高38m、うち相輪部が12.8mで全体の3割以上を占めています。951年(天歴5年)建立。931年(承平元年)、その前年に崩じた醍醐天皇の冥福を祈るために第3皇子の代明親王(よしあきらしんのう)が発願し穏子皇太后の令旨で建立が計画されました。この工事は946年(承平6年)左大臣藤原仲平の建議により着手されたが、代明親王薨去などの影響で工事は停滞し、その弟にあたる朱雀天皇が引き継ぐも、発願の20年後となる村上天皇の951年(天暦5年)に完成した。

清瀧宮本殿(重要文化財)

上醍醐に清瀧権現の清瀧本殿(現拝殿)が建てられた9年後、勝覚僧正はこの鎮守権現を下伽藍に勧請し社殿を建立しました。1405年(応永12年)焼失し、1407年(応永14年)に再建されたが、1470年(文明2年)に再度焼失しましたが、1517年(永正14年)再建されました。

西大門

鐘楼

1930年(昭和5年)、山口玄洞による建立です。

上醍醐

西国三十三所第11番札所であり、上り口には女人堂が置かれ、薬師堂、清瀧権現拝殿、五大堂などが立ち並びます。有名な『醍醐水』が今も湧き出ていて、山頂(標高450m)には、如意輪堂、開山堂、白山大権現が並びます。

薬師堂(国宝)

醍醐天皇の勅願により、913年(延喜13年)に聖宝に創建しました。現在の堂は1121年(保安2年)の再建です。入母屋造、檜皮葺きで、正面5間、側面4間。側面の柱間4間のうち、中央の2間が狭く、前寄りと後寄りの各1間が広いのは珍しいです。内部には薬師三尊像、閻魔天像、帝釈天像、千手観音像などが安置していましたが、現在は全て下醍醐の霊宝館に移されています。

清瀧宮拝殿(国宝)

1088年(寛治2年)12月に創建されました。弘法大師(空海)が唐の長安の清龍寺から勧請した密教の守護神を祀った醍醐寺の鎮守社です。1410年(応永17年)に焼失しましたが、1434年(永享6年)再建されました、平面七間三間、一重であるが南側は崖上に足代を組んだ懸造りになってます。内部は板敷で中の間を広く左右の列柱で内外陣のように分けられ、中央三間は身舎の扱いをして天井も一段高めています。

醍醐水

 聖宝が感得し、醍醐寺の名前の由来となったといわれる霊泉です。

准胝堂

 876年(貞観18年)、聖宝によって創建されました。西国三十三所第11番札所で、1968年(昭和43年)に再建された堂は落雷により2008年(平成20年)8月24日に焼失しました。

五大堂

913年(延喜13年)、聖宝が鎮護国家の祈願道場として創建しました。

如意輪堂(重要文化財)

876年(貞観18年)、聖宝によって准胝堂と共に創建されました。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼により再建されました。

開山堂(重要文化財)

911年(延喜11年)に観賢によって創建されました。1606年(慶長11年)に豊臣秀頼により再建されました。内陣の厨子には理源大師(聖宝)坐像などが安置されています。

三宝院

1115年(永久3年)に醍醐寺第14世座主であった勝覚僧正が創建されました。当初は、灌頂院と称したがのちに三宝院と改めたといいます。三宝院の名称については2説あり、1説は仏法僧の三宝を表すものであり、もう1説は勝覚僧正が義範、範俊、定賢の巨匠が伝える三法流を兼備していたことから『三宝院』の名を生じといいます。醍醐寺の本坊的な存在であり歴代座主が居住する坊であります。安土桃山時代に醍醐寺金剛輪院の院主であった義演が豊臣秀吉の信頼が厚く秀吉は慶長元年2月、醍醐寺再興の意図を明らかにし大庭園の築造にあたらせました。慶長3年3月15日金剛輪寺を中心に有名な醍醐の花見が開かれました。義演は准后となり、秀吉に許可を得て三宝院32世を名乗り、金剛輪寺を三宝院に改称しました。花見以後秀吉の身体はよくならず8月18日波乱に満ちた生涯の幕を閉じました。豊臣家の威光は輝きを残し手織り豊臣秀頼や北政所の計らいにより山上伽藍に開山堂、如意輪堂、白山社等新造、下伽藍には金堂、西大門が建立されました。現在の三宝院はその建物の大半が重文に指定されています。中でも庭園全体わ見渡せる表書院は寝殿造りの仕様を伝える桃山時代を代表する建造物であり国宝に指定されています。国の特別史跡・特別名勝となっている三宝院庭園は豊臣秀吉が自ら基本設計した庭であり桃山時代の華やかな雰囲気を伝えています。

唐門(国宝)

三宝院表門の東に南面する三間一戸の平唐門で古図によると元は西向きであったものを現位置に移されたものです。建築時期、創建時は門全体が黒の漆塗で菊と桐の大きな紋には金箔が施されていました。

クローン桜

豊臣秀吉が催し『醍醐の花見』は有名です。樹齢が高くなるにつれ、桜の木が弱ってきました。

住友林業の力をかりてシダレザクラのクローン化に成功しました。

毎年、春になればクローン桜が美しく咲きます。

書院(国宝)

庭園を前にして、玄関から北および東に向けて殿堂が建てられ、棟を連ねて多くの室が続いていました。玄関から東へ葵の間・秋草の間、次に表書院(国宝)、純浄観(重要文化財)、護摩堂(本堂重文)と続き北に宸殿、北西に庫裏その他の殿舎があります。

葵の間(重要文化財)

京都三大祭のひとつ葵祭が描かれています。下鴨神社から上賀茂神社に向かって行列している様子であります。

秋草の間(重要文化財)

秋の七草が点在する広々とした風景が描かれてます。

勅使の間(重要文化財)

ここの襖絵は竹林花鳥図です。桃山時代の作品で長谷川等伯に連なる一派の作と言われています。

表書院(国宝)

秋草の間から南に鍵型に泉殿が突き出た形です。古い面影を残しているが内部は全面に畳が敷かれて華麗な障壁画を飾る襖や貼付壁、下段・中段・上段と三室ならぶ東端の一の間は床棚を持つ書院造の典型で長谷川等伯の作と考えられている柳の図は特に有名であり、上下段境の框に打った大金具も豪快な桃山時代をよく表しています。下段の間は別名『揚舞台の間』と呼ばれ、畳わあげると能舞台になります。この表書院の東に茅葺の純浄観があり、この純浄観は豊臣秀吉が大観桜宴を推したとき醍醐寺境内に建てられたものを移築した建物です。この両者の中間の北側にあるが奥宸殿であります。宸殿は田の字型の間取りで主室上座の間は床棚書院および帳台溝を完備し、棚は有名な『醍醐棚』で遠州好みといわれる系統の透彫りがあります。宸殿の東北に付いているのが茶室・松月亭で四畳半、東側に円窓が特色です。南側に竹の縁、躙口があり屋根は切妻造柿葺き一部に檜皮葺きを用いていて庭園中に枕流亭があります。

本堂(重要文化財)

本尊は快慶作の弥勒菩薩であり別名弥勒堂といわれ脇仏として右に弘法大師、左に理源大師が安置されています。

純浄観(重要文化財)

豊臣秀吉が檜山で花見をしたときの建物を移築したものといわれています。内部の襖絵は平成に浜田泰介画伯が桜と紅葉を描きました。

奥宸殿(重要文化財)

江戸時代の建築であります。違い棚は『醍醐棚』呼ばれ、修学院離宮の『霞棚』、桂離宮『桂棚』と共に『天下の三大名棚』と称されています。

豊国大明神

五重塔の修復に尽力した豊臣秀吉の恩に報いるために建立されました。

文化財

国宝

金堂

五重塔

清瀧宮拝殿(上醍醐)

薬師堂(上醍醐)

三宝院唐門

三宝院表書院

木造薬師如来および両脇侍像

絹本著色五大尊像

絹本著色文殊渡海図

絹本著色訶梨帝母像

絹本著色閻魔天像

五重塔初重壁画18面

紙本著色絵因果経

書跡、古文書、多数

重要文化財

清瀧宮本殿

如意輪堂

開山堂

三宝院殿堂(本堂、庫裏、宸殿、純浄観、護摩堂、等)

絵画、彫刻、工芸品、書籍、古文書、多数

特別名勝・特別史跡

醍醐寺三宝院庭園

霊宝館

醍醐寺は歴史的な貴重な建造物さらに仏像・絵画・工芸品など10万点(うち国宝41点、重要文化財63,692点)の寺宝を伝承しています。これらの寺宝は創建以来の座主を中心に多くの僧侶たちによる絶え間ない努力と人々の祈りによって守り続けられてきました。醍醐寺霊宝館はこれらの貴重な寺宝の保存と公開を兼ねた施設として1930年(昭和5年)の醍醐天皇千百年御遠忌に計画され1935年(昭和10年)に開館しました。1979年(昭和54年」)に新収蔵庫3庫を新築しました。2001年(平成13年)には上醍醐薬師堂の本尊である国宝・薬師三尊像を中央に安置する大展示を増築しました。現在は諸堂に祀られている諸尊以外のほとんどの寺宝は霊宝館に安置しています。

五大力さん

毎年、2月23日の『五大力さん』がおかなわれます。男性が150キロ、女性が90キロ持ち上げてご褒美として勝者は上の餅を1個、2・3位は下の餅を半分もらえるようです。

醍醐寺の近辺イラストマップ

Googleマップ

醍醐寺 · 〒601-1325 京都府京都市伏見区醍醐東大路町22
★★★★☆·仏教寺院

住所

〒601-1325 京都市伏見区醍醐東大路町22

TEL/FAX

TEL:075-571-0002 FAX:075-571-0101

電車を利用の方

  •  地下鉄東西線『醍醐駅』下車 ②番出口より徒歩約10分

バスを利用の方

  • 京阪バス(22・22A系統) 『醍醐寺前』下車
  • 京阪バス (京都醍醐寺ライン)『醍醐寺』下車

交通案内

  • 名神高速『京都東』から約20分
  • 名神高速『京都南』から約30分
  • 名神高速『京都南』から約30分
  • 名神高速『京都南』から約30分

駐車場 

駐車場料金

種別料金追加
普通車1,000円5時間以後は30分毎に100円が追加
大型車2,000円5時間以後は30分毎に300円が追加

営業時間

8:00~15:45(3月1日から12月第1日曜日まで)
8:00~15:15(12月第1日曜日翌日から2月末日まで)

収容台数

100台

拝観時間/料金

拝観券(三宝院庭園・霊宝館・伽藍)

拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍)は、下醍醐の有料エリア(三宝院・霊宝館・伽藍)を全て拝観できる拝観券です。三宝院受付でお求めください。

拝観時間

夏期:3月1日〜12月第1日曜日までの期間:9:00~17:00

冬期:12月第1日曜日の翌日〜2月末日までの期間:9:00~16:30

※閉門時間30分前で受付終了(春期期間中は拝観時間の変更あり)

拝観料

期間
通常期
拝観券【通常期】(三宝院庭園・伽藍の二箇所)
個 人大 人1,000円
中学・高校生700円
※小学生以下は無料
団 体大人 20名以上800円
中学・高校生 20名以上600円
三宝院御殿特別拝観【通常期】10/10~12/4
個人・団体大人・中高生1,000円
霊宝館本館・平成館特別展示【通常期】
個人・団体大人・中高生500円以上
文化財維持寄付金として
霊宝館庭園・仏像棟【通常期】無料

※通常期…春期以外の期間

春期(3/20~5月G.W最終日まで)
拝観券【春期】(三宝院庭園・伽藍・霊宝館庭園の三箇所)
個 人大 人1,500円
中学・高校生1000円
※小学生以下は無料
団 体大人 20名以上1,300円
中学・高校生 20名以上800円
霊宝館本館・平成館特別展示
個人・団体大人・中高生500円以上文化財維持寄付金として

入山受付時間

上醍醐

入山受付時間

  • 夏期(3月1日〜12月第1日曜日):9:00~15:00
  • 冬期(12月第1日曜日の翌日〜 2月末日):9:00~14:00
入山料
個 人大 人600円
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍)をお持ちの場合は、500円
中学・高校生400円
拝観券(三宝院・霊宝館・伽藍)をお持ちの場合は、300円
※小学生以下無料
団 体大人 20名以上500円
中学・高校生
20名以上
300円

ホームページ

世界遺産 京都 醍醐寺
世界遺産醍醐寺。真言宗醍醐派總本山。京都市伏見区。国宝五重塔をはじめ数々の国宝・重要文化財を蔵する醍醐寺の境内、行事、略縁起などを紹介。

これらの記事は、2023京都SKYシニア大学『京都見聞コース』の資料を参考に記事を掲載しています。

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