総本山 智積院

総本山 智積院

智積院

山号

五百佛山(いおぶさん)

正式名称

五百佛山根来寺智積院

宗派

真言宗泉智山派

本尊

金剛界大日如来

創建

1598年(慶長3年)

開基

玄宥

文化財

大書院障壁画25面、松に草花図屏風、金剛経(国宝)、絹本著色童子経曼荼羅図、絹本著色孔雀明王像ほか、庭園(名勝)

起源と歴史

智積院の歴史は紀州にあった大伝法院と豊臣秀吉が3歳で死去した愛児鶴松のために建てた祥雲寺という2つの寺が関係しています。

智積院は紀州根来寺の再興であり、起源は1288年(正応元年)までさかのぼりますが現在の智積院は豊国神社の坊社の一部と祥雲寺を基礎としています。

智積院はもともと紀州根来山大伝法院の搭頭でした。大伝法院は真言宗の僧覚鑁(かくばん)が1130年(大治5年)高野山に創建した寺院でしたが教義上の対立から覚鑁は高野山を去り1140年(保延6年)大伝法院を根来山に移して新義真言宗を立ち上げました。

智積院は南北時代、この大伝法院の搭頭として、真憲坊長盛が建立したもので根来山内の学問所でした。

近世になり根来山大伝法院、根来山大伝法院は豊臣秀吉と対立し1585年(天正13年)の根来攻めで、2000もの堂舎が全山炎上しました。当時、智積院の住職であった玄宥は根来攻めの前に弟子たちを引きつれ高野山にのがれました。玄宥は新義真言宗を守るため智積院の再興を志したが念願がかなわないまま10数年が過ぎました。

関ヶ原の戦いで徳川家康が勝利した翌年の1601年(慶長6年)に東山の豊国神社の附属寺院の土地建物を玄宥に与えました。玄宥は新寺地に上寺を住坊に下寺を講堂にあて現在も根来に名を残す山号『五百佛山』智積院の寺号を『根来寺智積院』としました。玄宥は智積院中興の祖となり洛東豊国智積院第一世となります。三代目住職日誉の代、1615年(慶長20年)に豊臣氏が滅び隣接ちにあった豊国社の付属堂舎や梵鐘以下の資材が智積院に移され、豊臣家ゆかりの禅寺・祥雲寺の寺地を規模拡大しました。

祥雲寺は豊臣秀吉が3歳で死去した愛児鶴松の菩提のため1591年(天正19年)妙心寺の僧・南北玄興を開山に招いて建立した寺であります。現在、智積院の所蔵で国宝に指定されている長谷川等伯一派の障壁面は祥雲寺の客殿を飾っています。この客殿は1682年(天和2年)の火災で全焼しましたが障壁面の大部分が残り現存しています。現存の障壁面の一部に不自然な継ぎ目は火災から残った画面をつなぎ合わせたためと推定されます。

創建以来の祥雲寺ならびに智積院は1682年(天和2年)に出火で堂舎が残らず失ったが幕府は再建になり出し、東福門院の旧殿・南対屋一同下家などを客殿・大書院・小書院にあて、1685年(貞享2年)に復興完成したが、その後何度か火災に遭いました。

近代の1947年(昭和22年)にも火災があり、当時国宝に指定されていた宸殿の障壁画のうち16面が焼失し、この時焼失した行動は1995年(平成6年)に再建されました。

伽藍

東大路通と七条通のT字路に面して総門が建ちその先に講堂、大書院、辰殿などが建ちます。大書院に面した庭園は利休好みと言われ、国の名勝に指定されています。境内奥には金堂、明王殿、密厳堂などが建ちます。

総門

東福門院(御所)より移築したと伝えれます。普段は通行で止めになっており、特別な時に開門されます。『真言宗総本山智積院』の石柱は玄宥僧正の300回御遠忌の記念に建てられました。

金堂

総本山智積院の中心的な建物であり、以前の金堂は1705年(宝永2年)に建立されました。しかし、1882年(明治15年)に火災により焼失し、現在は1975(昭和50年)に弘法大師の生誕1200年記念事業として建立しました。

明王殿

1947年(昭和22年)の火災により本堂が焼失し、大雲院の本堂を現在の講堂に移築した建物です。その後、1990年(平成2年)に現在の場所に移築されたものです。本尊は覚鑁作の不動明王で『麦つき不動』と呼ばれている。

講堂

現在の建物は『興教大師850年御遠忌記念事業』として計画し、1995年(平成7年)に完成しました。灌頂道場や研修道場と使用しています。講堂はかって方丈と呼ばれ、徳川家康より寄贈された祥雲院の法堂が基になっています。この祥雲院は1682年(天和2年)焼失しました。その後、1684年(貞享元年)に再建されましたが、1947年(昭和22年)に焼失しました。講堂内部の襖絵は2008年(平成20年)に田淵俊夫画伯の襖絵60点が奉納されたものです。作者は日本画壇の第一人者で前東京芸術大学副学長で『日本の春夏秋冬』を題材にした墨絵は自然の持つ雄大さの中に全ての生きとして生けるものを包み込み優しさ、一方で我々を拒絶するかのような厳しさも併せて描かれています。この水墨画は今までの技法とは異なり和紙に墨と水で描かれ、環境に配慮した新しい時代の墨絵であります。講堂集会所の襖絵は1995年(平成7年)に後藤淳一郎画伯が奉納されたものです。

大師堂

真言宗開祖の弘法大師のご尊像を安置しているお堂です。

密厳堂

1667年(寛文7年)に建立しました。真言宗中興の祖であり、新義真言宗の開祖・興教大師覚鑁が祀られています。正面に運敞僧正筆の『密厳堂』が掲げられています。

求聞持堂

1851年(嘉永4年)に建立しました。本尊は虚空蔵菩薩で『求聞持法』の本尊であることからその名があるお堂です。

三部権現社

智積院の総鎮守です。中央が聖無動尊・十矢など、左が丹生・高野両明神、右が天照大神などが祀られており根来寺大伝法院以来の守護神であります。

鐘楼

1667年(寛文7年)に建てられました。梵鐘は1616年(元和2年)に鋳造され、鋳物師は『三条釜座藤原国信』と銘文も刻まれています。

収蔵庫

国宝の障壁画などを収蔵しています。長谷川等伯らによって描かれた『楓図』『桜図』『松と葵の図』『松に秋草図』等は国宝に指定されています。

庭園

池泉鑑賞式庭園で千利休好みといわれ、国の名勝に指定されています。中国の廬山を模して造られ、石橋より奥は禅寺・祥雲寺の時代に、滝の落ちる正面は江戸時代に修築されたものとされています。山は『廬山』を、池は『長江』をモデルにして、東山随一の庭と言われるようになりました。

文化財

国宝

大書院障壁画 25面 長谷川等伯・久蔵父子の作。

  • 紙本金地著色松に草花図 6面
  • 紙本金地著色桜楓図 11面 
  • 紙本金地著色松に梅図 4面
  • 紙本金地著色松に黄蜀葵及び菊図 4面 
  • 附:違棚貼付、袋棚小襖等 26面

紙本金地著色松に草花図 曲屏風一隻 屏風装になっているが、「大書院障壁画」と一連のものであります。 

金剛経 南宋時代の書家・張即之の筆。 

重要文化財

  • 絹本著色童子経曼茶羅図
  • 絹本著色孔雀明王像
  • 絹本墨画滝図
  • 紙本金地著色松に梅図 二曲屏風一隻
  • 増壱阿含経 巻第廿九

智積院の近辺イラストマップ

Googleマップ

総本山 智積院 · 〒605-0951 京都府京都市東山区東瓦町964番地
★★★★☆ · 仏教寺院

住所

〒605 – 0951 京都市東山区東瓦町964番地

TEL/FAX

TEL:075-541-5361

FAX:075-541-5364

公共交通機関でおこしの方

JR京都駅から、市バス約10分にて東山七条下車、徒歩約3分
東福寺駅から徒歩約15分
京阪電車七条駅から徒歩約10分
東福寺駅から徒歩約15分
清水五条駅から徒歩約20分

車でおこしの方

  • 名神高速道路 京都東IC 出口から約20分
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駐車場

  • 参拝者、宿泊者専用駐車場あります

自転車・バイクでおこしの方

  • 駐輪場あります

拝観受付/拝観料

拝観受付

午前9時 ~ 午後4時

拝観料

名勝庭園一般 300円/中高生 200円/小学生 100円
宝物館一般 500円/中高生 300円/小学生 200円

有料拝観エリア

名勝庭園、大書院、講堂、宝物館

ホームページ

真言宗智山派 総本山智積院

これらの記事は、2023京都SKYシニア大学『京都見聞コース』の資料を参考に記事を掲載しています。

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